私は常識や作法に酷く自信がないです。年を重ねるにつれて、そのことがドンドン強くコンプレックスになっているのに気が付きましたので、向き合おうと思います。
型にはまるのが苦手で堅苦しいのが苦痛
隠していたのですが茶道の免状を持っている割に礼儀作法が、ちっともできないのを恥じています。茶道を習っていた当時からお手前が苦手でした。いまではお手前も全て忘れてしまっやので茶道をやっていたことを隠して生きています。
茶道は1ミリ単位の指導が細かくて、徐々に正解が分からなくなって、苦手意識が蓄積されていきました。今では茶道はおろかマナーが試されるような場所には積極的に足を運ばなくなりました。指導して下さった茶道の先生は親切で温かい方でしたので、申し訳ない結果になってます。
肘をついて食事をしたり、脚を組んで座ることが許されるようなカジュアルで安っぽい場所に安心感を覚えるようになりました。そこには規則やマナーや恥という概念が存在しないような気がしたんです。なんてラクなんでしょう!
私は無骨で無教養な人間であると決めつけて諦めました。そっから言葉遣いも悪く、奔放な振る舞いをするようになった気がします。
丁寧で美しい日本語を話すことは心を動かす
その内趣味でやっていたブログが波に乗って、文章で生計を立てるようになりました。
分かりやすくキャッチーにということで、ザックリした乱暴な言い方をすることが増えました。面白おかしくするために若者言葉やネットの流行り言葉、汚い言葉、男言葉、芸能人を呼び捨てなどすることもありました。
ウゼェ、糞ダサイ、マジで、オワタ、プギャー、ワロタw、ピコ太郎
こんな感じですね。
プライベートで使用することもあって、丁寧な言葉でお話しするのが逆に恥ずかしくて、わざとぶっきらぼうな喋り方をすることもありました。
けど本当はそのような言葉をしようするたびに心がザワザワしてました。
年齢を重ねるたびに違和感が強くなり、汚い言葉ばかりを選んで、いざ丁寧な言葉を使わなくてはいけない場面で、正しい敬語に自信が持てなくて言葉尻を濁して誤魔化すことも度々あり、言葉に対してドンドン自信を無くして行っていることに気付きました。
言葉が汚いと心が貧しく育ちが悪いと思われる
私ただ一人がお下品な言葉を喋って品格を落とすのは別に良いでしょう。
しかし、ブログは沢山の方が読んでいます。ブログの読者が私のマネしてお下品になるのは心苦しいです。
/(^o^)\なんてこったい
です。
かつてブログの記事に「丁寧な言葉で話す女は可愛い、モテる」という内容の記事を書きおろしてる位に言葉の影響力は大きいのです。
丁寧でキレイな日本語を操ることができることが教養で、他人の心を震えあがらせるほどの力があります。まさに知恵のジュエリーです。
全身エルメスをまとっている、お金持ちであったとしても、言葉が乱暴で汚いと、心が貧しくて育ちが悪いと判断されてしまいます。
なので心機一転、美しいキレイな日本語を勉強しようと思います。ただ言葉に「です。ます」と付けて敬語にするだけでは、美しい日本語とは言えません。
美しい日本語を操れるように勉強します
昔の日本映画の女優の日本語は可憐で本当に可愛かったです。あと今話題の叶姉妹がお二人がお話の仕方って本当に美しいとため息が出ます。とても優雅で幸せな気分になります。あと丁寧な言葉でもちゃんと笑いを取れる叶姉妹は心の底から偉大だと思います。
乱暴な言葉で笑いを取りに行くのは安易であったと反省ばかりです。
周囲に合わせることなく丁寧な言葉を使い続けるのは強い意志が必要だと思います。
不慣れですが、ブログの文章をなるべく丁寧な日本語で書きます。この記事を読んで下さっている読者の皆さんも、ぜひ美しい日本語を共に勉強していきましょう!
丁寧な言葉遣いの方が増えたら日本は優しくなると思います。
余裕があればマナーとかも勉強しなおしたいですね。
大変遅れましたが、あけましておめでとうございます!
2017年も皆さんにとって生きやすくなるヒントや、単純に娯楽として楽しんで頂けたら嬉しく思います。今年もどうぞよろしくお願いします!