「世の中金じゃない」と言いますが、私は金を否定する人を信用してません。
貧乏人だろうと金持ちだろうと、金を否定する人とは金の有無に関係なく、お付き合いしたくないと考えるほどです。
金である程度解決できるようになってる発明は偉大
まずお金は何かを得る、何かをしてもらうことを実現させるための道具です。
いわば仲介のような重大な役割を持っているのです。
豚や牛を育てて精肉することができないから、お金と交換するのです。
自家発電するのは大変だから契約して電気とお金を交換してるんです。
木を切り倒して紙にすることすらできないから、お金と交換してるんです。
自分で注射を入手してセルフで手術とかできなから、お金を交換してるんです。
本来自分独りでは不可能なことを、お金を介入させることで可能にさせてるんです。
動物の世界は通貨という概念はないですが、ケガしたら病院に駆け込むとか痛み止めの薬を貰うことなんてできません。ひたすら傷口をペロペロ舐めて自然治癒に任すか、死を待つかしかないのです。自然界にはオロナインCすらないのです。
だからお金である程度何とかなるようなルールを作った人は偉大なのです!!
金を否定する人を信用していない理由
さて本題ですが、金を否定する人は上記のありがたみ味を分かってないです。
「金は汚い」と否定しておいて、金を使わないと生きていけない自覚が足りません。
貨幣の概念がない自然界でやっていけない人がほとんどです。
貨幣を使わずに孤島で自給自足で暮らしてる人もいますが、圧倒的少数です。
金は本来は紙切れですが、それである程度は何とかなるようにできている人間社会に感謝すべきです。
お金を否定する人は、自分がさも清らかな心であるかのような自惚れが鼻につくし、モノゴトの本質を分かってないという点で信用できないです。
他人に与えるのには大金がいる
自分ひとりをハッピーにするだけならば、現段階の日本ではそんなにお金は必要ありません。しかし、親しい人にプレゼントをしたり、後輩にご馳走したり、子供を作ったり、被災地に支援物資を贈ったりするといった行為をするためには金が必要です。
他人に何かをしてあげたい時には金が必要なのです。
なので金を否定する人は他人に何かしてあげようという意識が低いのです。
自作の歌とか手作りのお菓子とか記念日に安いぬいぐるみプレゼントとか自分のことしか考えていないからできるんです。
気持ちさえ籠ってればOKという考えが浅はか。相手の気持ちになって考えたらある程度お金をかけている正規品が良いに決まってます。
昔「ボンボン坂高校」という少年漫画があったんですが、主人公が好きな女の先輩の誕生日に高価な指輪をプレゼントするために、バイトしまくるエピソードがありました。プレゼントを安くで済まそうとするより、愛があると思いました。
身銭を切るというのは痛みです。
気持ちと金額は比例します。
他人にそれをしたくないケチというのは、自己中で思いやりがないのです。
だから「(自分ひとりだけで)生きていくのにお金は必要ない。お金は穢れてる」という発言を聞くとゲンナリするのです。自分ひとりで生きていくことが大前提だから、そのようなことが言えるのです。
金を否定する人と付き合いたくない
これらの理由で私は金を否定する人とは積極的にお付き合いしたいと思いません。
想像力があまりなく意識が自分の方ばかり向いて他人を愛する心がない気がします。
お金に感謝して、お金の存在を肯定して、お金のことが好きな人が好きです。
お金を愛せる人が他人も愛せるという持論を持っています。
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