自称HSPが嫌いな理由

HSPを抱えてるヒメネー様です。

同時に自称HSPの人に対しても嫌悪感を持っています。同族嫌悪なのか、その理由を今回書きます。

 

自分だけ繊細なとこが嫌い

自分の痛みばかりに繊細で他人の痛みには鈍感なところが最も嫌いですね。普通の人でも心は傷つくのに、鈍感か無敵だと思ってるのが本当に傲慢だなーと思うんですよ。

 

世界が狭く自分の傷ばかり。

 

人の心配りは拒否して自分中心で解釈して認知を歪ませるし、さりげなく他人にとんでもない無礼を果たしても気が付かないし、ネガティブに塞ぎ込んで周囲に気を遣わせ続けるし。

 

それで「私は繊細なんです」って言われたら、図々しい奴だと私は思います。

 

HSPを言い訳にする

「HSPだから理解して!」という姿勢も甚だ疑問ですね。

 

「私は心が弱いから、もっと気を使え!そして私は変わりません!」

 

と成長を拒絶してるように聞こえるんです。今までの人生経験上では自称HSPの人は精神が幼くて、周囲に気を使えない人が多いイメージです。

 

 

自分のことでずっとウジウジしてきて、周囲に気を配る余裕がないから子供っぽいという理屈も頭では理解できます。

 

 

けど、この世に最初から気が利く人間なんて存在しません。本で勉強したり、人に教えてもらったり、実生活で恥をかきながら少しずつ蓄えていくものだと思います。

 

 

気配りは先天性じゃなくて、後天性なものであり、自分で知恵を仕込んで作り上げていくものだと私は考えています。

 

 

生活の知恵の蓄えもなく社会に放り込まれ中年に近付いていったら、そりゃ生きづらいなるだろうと察しはつきます。

 

 

そういう過程をスッ飛ばして「HSPを理解して」と理解を乞うのは、不誠実だと感じるんです。自分は他人を理解しようとしたのか問いかけたくなります。

 

 

HSPだから理解してと強要されると「気を使え!私は強くなろうとしないし努力もしません!」と言われた気分になります。

 

あと「私もHSPだよ」っと言うと空気が凍ります。

 

 

怠惰が嫌い

弱いまま甘んじる人間が嫌いだし、繊細を自称するわりに他人を考えない人間が嫌いです。そういう人にはHSPを名乗って欲しくないです。

 

私のイメージするHSPは、他人の気持ちに敏感で思いやりがあり、苦悩があっても耐え忍ぶ、他人の痛みにも涙する心優しい人物なんだが、現実に自称HSPの人は全く違いました。

 

 

繊細チンピラ、当たり屋、プロ被害者みたいな人が混ざってます。自分自分ばかりで健気さが0なんです。健気さがないから応援したい気持ちが湧きません。そんな人が好かれるわけないじゃないですか。

 

 

人間的に全く良い人でないのです。

 

人口の5人に1人がHSPらしく、血液型B型の人と同じ割合らしいです。珍しい存在でないと言うこと。

 

自分だけが悲劇ぶるのは止めろってことです。他のHSPの気持ちを踏みにじる自称HSPとか最悪な存在です。

 

自分の話

私が普段HSPを言わないのは誰にも慰められたくないし救いにならないことを知ってるからです。オマケにADHDもあります。長年生きづらさを抱えて来たけど、身内サポートおろか病んでる時も金の話ばかりされて生きて来ました。

 

精神病のロビーで犯罪してでも生き抜いてやると決めて、ここまで這い上がってきました。

 

人に理解してと乞うのは希望がある証拠ですね。そういうとこも甘いんですよね。どうせ淡い期待は打ち砕かれるから止めた方が良いに決まってる。人に期待するから鬱病になるんですよ。核を破壊されたら動けなくなるのは当然なのに。

 

 

HSPならば陰か陽かといえば、間違いなく陰で闇堕ちしやすい属性だと言えるでしょう。