人への内面の評価に対して「薄っぺらい」「深い」「中身がある」など色々表現がありますが、私は昔から良く分かってませんでした。
中身がある人ってなに?
- なんか思慮深い
- いろいろ物知り
- 自分の意見や考えがはっきりしている
大体こんな感じのイメージでしょうかね。ニュース番組のわきに座ってるコメンテーターみたいな感じです。あそこに座ってる人は何とも徳が高そうに見えます。
中身がある人になろうとした10代
10代の頃、自分に中身がないような気がして、よく分からないけど中身を作るために沢山の本を読みました。
結果難しい漢字が少し読めるようになりました。
今ではほとんどの本の内容を忘れてしまいました。
あれから何年も経ったけど、何も進歩してません。
中身を詰めたら「中身があるアピール」がしたくなった
本を沢山読んで映画を観た甲斐もあり知識だけは増えました。
しかし困ったことに、そのことをアピールしたくなりました!
せっかく仕入れたのだから知識をお披露目したくてたまりません!
結果ウザイ人になってしまいました!
他人にとって興味がない話をしまくるお喋りクソ女誕生です。うるさいです。
中身がなかった時のほうが人畜無害でした。中身有るねなんて言われません。
色んな人のキョトン顏を沢山見てから、自分の話するの止めました。
よく分からない中身作りは無駄に終わりました。
中身があるアポールがしたくなるのは他の人も同じだった。
自らウザイ人間になってしまったことを猛反省して自分の自体を極力しないようになりました。
聞き手に回るようになってから周囲の人も大概「中身があるアピール」をしたがることに気付きました。
色んな人から様々な話を聞きましたが、それで「すごい!中身があるね!」って思いました。
「つまらん」「人の話も聞けよ」「うざ」と思う始末。
良く分からない中身がある人よりも、余裕や余白がある人の方が良い
これまで沢山の人と出会いましたが、私の人生では中身があると思った人は一人もいません。私にとって「中身がある人」は永久に謎です。
代わりに「心に余裕のある人」には非常に魅力を感じました。
彼ら彼女らは大した知識や見解もないのですが、心が寛容でガツガツしてなくて一緒にいて楽しいのです。
私より知識が少なくて、能力が劣っていても面白いのです。
中身がなくても問題ないのです。
中身がある人よりも余白がある人が素晴らしい
このことから、「よくわからない中身がある人」よりも「心に余裕、余白がある人」を目指したほうが良いなと思いました。
あれこれ詰め込みすぎることなく、ゆとりを持っていたいですね。
精神的に余裕がある人の方がモテますし、性格も良さそうな気がしませんか?
それに「我こそは中身がある人間である」と自分で思ってる人は、間違いなくろくでもないです。
中身はなくて良いですが、中身がアウチなのはまた別の話w