「幸せになる方法」についてリクエストを頂きました!
リクエストしてくれた方ありがとうございます(゚∀゚)
幸せを感じる瞬間
私の場合は顏に吹き出物がなかったり、
何か熱中してる時(最近は麻雀打ってる時)に幸せを噛みしめています。
このような低い水準で満足できる自分で良かったと心から思います。
「幸せになれる方法」より「不幸にならない方法」
私は「幸せになれる方法」を追求するより
「不幸にならないように気を付けること」のほうが長い目で見て「幸せ」なのではないかと思います。
幸せに浸りすぎるとロクなことないと思ってる。
人間あんまり幸せに浸ってると他が見えなくなって他人に対して鈍感になってしまいます。
一瞬だけ浮かれるのは許してもらえるけど、浮かれっぱなしだと鼻につくので、幸せ気分を浸り続けるのも考えものだと思ってます。
どの環境もいつかは慣れる。
幸せの絶頂を迎えても、いつまでもヘブン状態は続かないです。
最初は神様に感謝したのに次第に慣れや飽きがやってきて日常化します。
毎日絶頂を迎えるのはクスリを決めてない限り不可能かと思います。
幸せに執着する心が一番幸せから遠い。
幸せに執着するようになったら、心も視野も狭くなって、結果不幸になると思います。
幸せオーラが鬼気迫る怨念に変貌してしまいます。
とても幸せに思えないですね。こだわり過ぎるのも良くないですね。
不幸にならないように気を配る
「平凡こそ幸せ」という言葉をよく聞きます。
「地獄を作らないようにして、不幸でないことに感謝する」のが良いように思えます。
あってもなくても良いですが、日常の中にちょっとした楽しみがあればモアベター。
何とも眠たい話ですが、無難な落としどころかと思います。
幸せに執着すると、幸せになれないことを嘆いたり、社会を恨んだり、他人の幸せを祝えなかったりロクなことないですから。
結論
「幸せになれる方法」をハッキリ決めてしまうと執着してしまうので、
あまり深く追求せずに「不幸にならないように気を配る」ほうが結果的に「幸せ」になるのでないかと思います。
★関連記事